依存と逃避の勘違い。

正社員時代に入り浸っていたものがある。

 

ひとつは占い。

ひとつはお酒の場。

もうひとつは買い物。

 

でも収入がなくなったので、それらには今は関わっていない。

というより、そんなことに費やすお金などない。

 

私は上記3つに対しては依存ではなかった。占いだけはあるかもしれないが。

 

依存しているなら、お酒に関しては禁断症状が出るだろう。酒場に関しても気になって仕方ないだろう。それらがいまは一切ない。飲酒や酒場への欲求は、正社員〜派遣〜正社員時代に頻発していた。

 

買い物に対してもそうだ。オンラインショップからのメールマガジンはチェックしていたが、今は開ける前に削除している。

 

飲酒と買い物は、目の前の現実から頭を切り替えるためのものだった。

一言でいうと、逃避なのだろう。

 

切り替えるためには別のなにかを使う必要があった。

つまり、正社員時代はそれができなかったのだ。

行きやすい酒場を見つけ、そこに入り浸ることで自身の寂しさや、鬱憤を埋めようとしていた。

市場調査の一環として見始めたオンラインショップでものを買い漁るようになったことで、自分は大丈夫、自分はいけてるという自己愛を満たそうとしていた。

 

占いについてだけは、今も見てしまう。さすがに課金はもうしないけど。

理由は不安だから。先々が怖いから。

大丈夫と思わせて欲しい。安心が欲しい。この動機は、正社員時代〜無職の今でも続いていることだ。

 

これらのことから、自分を支配しているのは、先々への不安なんだと思う。

 

誰かに決めて欲しい、正しさの物差しが欲しいという不安からくる欲求が非常に強い。

 

この部分を追求してゆくのはしんどい作業だ。

 

今は私は絶望している。

独立してやると息巻いていたんだけど。

単一化して、周囲と協調し、足並みを揃えることが根っから出来ない性質なのだという事実を、受け止めだした。

そんな人間は、食い物にされるだけではないのか。

ならばその状態を享受し、食い物にされるなりに幸せを見出せばよいのに。

 

たぶん物事には、見方を変えるとすべてが変わるという側面はある。

例えば、社会と関わることを避け、実家でずっと生きている人がいる。

結婚もしておらず、働いたことがないという人は私より上の世代にもいる。

その人は、毎日必死で働いている方からすると、許せなかったり見下したり、そしてシカトするという対象になる。

 

でも、本人は不幸なんだろうか?

そこで暮らせる環境があるから、働かない選択をしているのだ。

余分な資産があれば嗜好品を買うだろうし、どこかに旅とか行くだろう。

そんな資産がなくても、最低限生きていくだけのものはあるのだから、その生活が成り立つのだ。

 

社会保障や日々の食うものや光熱費などは自分が金銭を産み出さなくとも賄えるから、そんな暮らしが成り立つのだ。

 

割りを食うのは親であったりするし、周りはたまったものではないのだが、そんなの一側面に過ぎない。

 

社会保障額は、収入に対して決まる。

本人が借金を抱えていても、散財をしていて貯金がなくともだ。

自業自得や、仕方なしにといったソフト面などは、考慮していられないだろう。

 

ハード面ではそんな割り切りをする他ないだろうけど、本当は、働かない、稼がないことが、正しい、正しくないの二項で割り切れるものではないように思うのだ。

 

そんなにきれいに割り切れるなら、なぜ働かない人、働けない人、働いている人、働きすぎてる人が社会に混在しているのか、疑問に思う。

 

でも、はっきり言ってそんな風に生きれることはほんとに羨ましい。

年間に、稼ぐ額が10万を切っていても生きていける環境が、その人たちにはあるという事実が羨ましくてたまらない。

 

働くことに対して支障がない人間は働き、社会を回すのが理想だ。

そうすれば世の中健全に回るだろう。

 

でも、さまざまな事由で無職であったり、収入が激減する人が後を絶たないのが現実だ。

 

そんな現実を踏まえて改めて。

自分がなりたいのは、働かない人だ。

静かに好きな本を読み、なんらかのアウトプットをするだけで生きていける人だ。個人的に興味があるし、やりたいことも出てきているのだが、日々最低限の暮らしがないと焦りで消耗する。

 

生きてるだけでお金がいる。

お金がない環境で、好きにアウトプットなんて出来ない。

 

だから、自業自得であれ、生まれ持った環境であれ、お金がない人間はなにかをする必要が出る。無理矢理にでもだ。

 

ずっと、私はなんでもやってきた。

自分を削って働いてきた。

削るというやり方しかできなかった。

 

なら削るだけ削ってお金を貯めていられればよかったけど、ダメだった。

 

フル稼働で働き続けるには、前述したような逃避、依存となる対象が私に必要だったことが現実だ。

仕事に依存して消耗し、消耗を少しでも満たすために別のものに逃避するというループが正社員時代の自分であったのだ。

そんなのでお金が貯まるはずもない。

 

いま、独立な話が出てる。契約日は決定済みだが、具体的な時間はまだだ。

注意して読もうとするところも捻り出した。もしこの契約が不利な場合でも、余程のことがない限り受けてみるしかない。いまは。

 

自分という人間に関して言えば、なにをしても出口は同じだとやはり思ってる。

諦めに近い。

 

私は一切働かずに生きることが出来る環境にはいない。最低限のバイトはせねばなるまい。

 

正社員のプレッシャーに耐えられず摩耗した。仕事はこなせるのだが、摩耗して逃避するのだ。結果お金はなくなる。派遣や委託よりは安定はするが、先々続く保障など、ない。正社員神話は絶対に崩れてゆく。

 

派遣も委託も契約に縛られるのは同じ。

派遣の方が面倒な手続きをしなくてよいし、社会保険の本人負担が減る、雇用保険に入れるというもので、それは大きいけどね。

 

今後一番注意したいのは、摩耗による逃避だ。あれは、洒落にならない。せめてお酒と過剰な買い物は今後の人生避けてゆきたいものだ。どれだけ使ったのかわからない。

飲むときは、溺れないぐらいがよい。

 

摩耗せずに自己管理をして働く。これが労働にあたり、当面の私の課題である。