父親

父はずっと同じ企業に勤めていた。

名前は誰もが知っている、大手優良企業である。わたしなんかがあなたの元に産まれてきてごめんなさいと思うほどだ。

父の物差しは、大手優良企業のそれであった。父は、常にそれが水準であった。

やけにえらそうな鼻持ちならない人間であるくせに、私は父の水準には達していなかった。

 

そんなステキな企業で、父がどんな風に働いていたかは知らない。

大手とはいえ人間の集まりである。そして、会社とは、どれほど綺麗事を並べても、結局は利益を追求をするものだ。

 

嫌なこともたくさんあったろう。

あり得ないものも見てきたことであろう。

 

それでも、何者かにはなれていたはずだ。こんなことをしてきた、こんなことをしていると語れるほどには。

 

今、私が優良げな企業でデータを打ち込みつつ羨んでいる人たちの中の1人にいたんだろう、たぶん。

 

 

こうはなりたくないと思ったのは、父の退職後だ。

企業の業績が悪化し、早期依願退職を募り始めた。

対象となったのは父の年齢を含む社員。

退職金額を跳ね上げるので、という条件である。リストラではないので、もちろん残ることもできる。

 

でも父は、辞めることを決めた。

そのあたりの流れも、あまり覚えていない。たしかプライドがなんだの。そんな感じだったと思う。他にも理由はあるだろうけど。

 

気付くと父は、今までより輪をかけて、よくわからない感じになっていった。すごい速度だった。

 

ある程度の地位まで登ったといっても、それはその組織の中でだけのことである。一歩外に出ると、また違う。

 

しかし父は、堅固なプライドを持っていた。こんな書き方をするからには、もちろん悪い意味でだ。

 

まず、まだ身体は動くし働けるとのことで、かなり安い給与ながら、近所の会社へ父は自ら働きに行った。たしかに、当時の父の年齢で考えると、働ける。もう休んでおきなさい。という年齢でなかったことだけはたしかだ。

 

結果→喧嘩して辞めた。

 

食卓では、誰が悪いだとか、普通はこうするだとか、そんな話題が溢れていった。

 

退職後、父は次から次に仕事をみつけては辞め、また見つけては辞めた。 

理由:

ざっくりいうと、人間関係の摩擦

捨てきれなかったプライド

 

もう働かなくてもいいじゃないかと、思っていたし実際言ったのだが。

 

我が家の近所にある会社と、父が勤めていた会社は、待遇から仕事のやり方、会社力に至るまで、天と地ほどに違う。

詳しくはわからないけれど、父の見てきた常識と、近所にある会社の常識とでは、異国かというほどに違っていただろう。言葉は、通じたのだろうか。

 

父の歯車は次第に狂っていった。

父のアイデンティティは、会社があってこそであった。

 

私は父のように長い期間同じ会社で働くことはできなかったし、大きな会社にも入れなかったのだが、おかしくなっていった父を思い返すと、私はたしかにこの人の娘なんだというところはたくさんあった。

たまたま時代が違っただけなのかもしれない。父の世代にはレールはあり、私の世代にはレールはない。

 

個々の賢さにより、道は大きくずれてゆく。私は賢くはなかったので、ずれてしまった。

 

 

父のこと。

 

これ以上は辛くなってきたから、辞めておく。

 

父はまだ、存命である。でも、もう働けない。歳であるのはもちろんだが、もう随分前に、外で働けるメンタルではなくなってしまったのだ。

 

大手優良企業を退職した後の父は、何者かであった自分を維持しようともがき続けていたのだろうか。

退職したあとも、以前の繋がりでなんだかんだやる人もいるだろう。

メンタルがやられるまではいかない人もいるだろう。

父はそうではなかった。

 

 

またいずれ、書こう。