共働きの離婚率

夫婦共働きの最大のメリットは、生活に余裕が出来ることかと思います。

 

遠い記憶ですが、私の親戚もそのパターンでした。子供を産まないという選択をされたので、ご夫婦の時間をしっかりとることができ、平和にされていると思います。

子供を産まない選択について、奥さんは歳だからなど、親戚一同より陰口は叩かれていましたが....

本人らからすれば余計なお世話でしかないでしょう。

これはこれでよいかと思います、個人的には。

離婚はされてません。あそこのご夫婦は、共に働いて生きていくことについて、うまくバランスをとってやれているのでしょう。

もしかしてそれ、珍しいのでは!?と思わないこともないですが、詳細は後述します。

 

あとは、共に社会に出ているため、家庭以外の世界も知ることができ、近視眼的にならない、などでしょうか。

うちの母親は専業主婦ですが、かなり近視眼です。自分の家庭生活の世界、自分の過去の勤務経験のみで物事をすべて判断し、人の話は聞きいれません。

こちらは本人の持つ資質にもよるかと思いますが。

 

 

ではデメリットはなにかというと、上にあげたメリットと正反対のことかと思うのです。まさに、表裏一体かと。

 

まず、子供を産み育てるということについてです。

産めるのは女性のみ。となると、最低限無事に産むために一定期間以上は仕事を休まねばなりません。

そこで疑問です。奥さんの会社は産休、育休制度を完備しているのでしょうか?

仮に整備されていても、使えるような職種でしょうか。

 

整備されていたとしましょう。復帰もできたとします。では、その次です。

保育園に入れることはできますか?

ここが最も大きな分かれ目な気がします。

 

入れることができなかった場合、もちろん、育児をせねばなりません。

その間、共働きで確保していた収入は激減します。

これは仮に奥さん側が復帰、旦那さんが育児をするというパターンでも言えることです。

 

結婚前からかなり緻密な家計のやりくりが、必要ですね!

 

入れることが出来た場合。

職場に復帰する場合、お迎えの時間に帰らせてもらえる環境でしょうか。

旦那さんはどうでしょう?

お迎えをしてくれる親御さんは、近くにいるでしょうか?

これらもクリアせねばならないハードルですね!

 

もうひとつ、社会を知れるというメリットの裏返しのデメリットです。

社会を知れるということは、「相手のしょうもなさ」も知れてしまいます。

誤解を与える表現ですが。。

仕事をしてると、なんとなくわかると思うんです。

 

つまり、「自分はこんなにも頑張ってるのにこいつは、、」「同じ職場のこの人はこんなことしてるのにこいつは、、」という状況になりやすいと思うのです。

どちらかは家庭、どちらかは仕事という分担がない場合、相手と同じ目線で仕事を見てしまいませんか。

なんか、別に相手がいなくてもいいよ、、、と簡単になりそうだなあと。

お互いへの思いやりが試される状況が、比較的訪れやすそうに思います。

 

あと、一番の懸念はやはりこれです。

「二人とも仕事で疲れるから、相手への気持ちの余裕がなくなる」

 

これ、一番のネックな気はします。

 

共働きで別居となった夫婦を知ってます。仲違いが耐えない夫婦も知ってます。離婚も聞いたことがあります。更に、疲労からセックスレスに陥り、夫婦がしたいタイミングでやれず、旦那が不倫三昧というのも。

 

うまくいってるのは、奥さんがパートである、在宅仕事である、などです。比較的どちらかに時間の余裕があるパターンですね。

 

わたしは婚期逃してますがw

いま再び出会いは頑張ってます。

離婚経験ある方なんかは、原因をお伺いすると、いろいろです。

 

「専業主婦→子供ができず奥さんノイローゼ」

「共働き→子供はできたが、奥さん仕事で鬱状態、旦那さんも仕事で疲労、お互いをケアできず破綻」

「共働き→子供できず→仕事に邁進しすぎて、家庭がどうでもよくなる」

「共働き→子供できる→旦那の子育てへの要求に、奥さんついていけず。かといって仕事辞めようとも思えない→超えられない溝ができる→子供の成長と共に離婚」

 

今のところ、圧倒的に共働きが破綻してます。まあ、婚活ですからね。既に離婚した人の経験談なのであまりあてにならないかもしれませんが、、

 

それにしても、30代半ば〜40代の方、ステータスが離婚の方は多いです。これはびっくりします。

 

付き合っている時でさえ、仕事のしんどさでセックスレスにはなりがちですしね。。。

 

更に、個人的な経験談ですが、男性は自分の仕事の話しをする際、「いかに自分が大変か、すごいことをしているか」を話されることが多いです。

 

こちらも疲れてます。そんな話しをしたいです。でもそれをすると、「俺が癒されない」問題になってきます。

 

前述しましたが、突き詰めると起こる目も当てられないこと、経験してます。

そんな話しをニコニコして聞いてられるのは、最初だけなんですよ。

自分がしんどくても、自分のつらさは小出しにし、相手を思いやろうというのは、ずっとは無理なんです。

 

数ヶ月経つと、本気で腹が立ってきます。

 

「こちらの方が大変なんだけど?」

「わたしだってすごい残業で休日出勤してるんだけど?なんであなたばかり、大変かのように話すの?」

 

これを出すようになると、どうなることかと。旦那さんもしんどいんです。癒されたいから、認めて欲しいから、自分の仕事のつらさを話すわけです。

そこで自分もつらい話しをすると、もうね、最初はいいんですけどね。

 

「たいした仕事してないくせに」が出たりする。

 

そうなってくると、ほんとにいらいらしますよ(╹◡╹)

 

共働きの収入は非常に魅力的ですが、私は結婚したらパート、または自営で在宅を目指したいのです。

または、フルタイム共働きなら、旦那さんと商売する方が、まだいいです。

 

でも、婚活で見ていると、フルタイムな共働きを求める方がやはり多いですね。。

男性は、女性も仕事してたら疲れるし、愚痴も言いたくなるし、ということを本当にわかって欲しいです。

 

収入が増える代わりに、癒しを求めることや子供のことは諦めて欲しいなあ、、というのはそこが理由です。

 

家族でよりよい生活がしたいし、これからどうなるかもわからないから共働きを選ぶわけですが、そのせいで喧嘩の絶えない家庭になるなど、すれ違いが起きてしまうと目も当てられませんからね。。

自分は、フルタイム共働きで、落ち着いて旦那さんのお話を聞き、ねぎらい続けるということを、ずっとできるとは思えません。

依存と逃避の勘違い。

正社員時代に入り浸っていたものがある。

 

ひとつは占い。

ひとつはお酒の場。

もうひとつは買い物。

 

でも収入がなくなったので、それらには今は関わっていない。

というより、そんなことに費やすお金などない。

 

私は上記3つに対しては依存ではなかった。占いだけはあるかもしれないが。

 

依存しているなら、お酒に関しては禁断症状が出るだろう。酒場に関しても気になって仕方ないだろう。それらがいまは一切ない。飲酒や酒場への欲求は、正社員〜派遣〜正社員時代に頻発していた。

 

買い物に対してもそうだ。オンラインショップからのメールマガジンはチェックしていたが、今は開ける前に削除している。

 

飲酒と買い物は、目の前の現実から頭を切り替えるためのものだった。

一言でいうと、逃避なのだろう。

 

切り替えるためには別のなにかを使う必要があった。

つまり、正社員時代はそれができなかったのだ。

行きやすい酒場を見つけ、そこに入り浸ることで自身の寂しさや、鬱憤を埋めようとしていた。

市場調査の一環として見始めたオンラインショップでものを買い漁るようになったことで、自分は大丈夫、自分はいけてるという自己愛を満たそうとしていた。

 

占いについてだけは、今も見てしまう。さすがに課金はもうしないけど。

理由は不安だから。先々が怖いから。

大丈夫と思わせて欲しい。安心が欲しい。この動機は、正社員時代〜無職の今でも続いていることだ。

 

これらのことから、自分を支配しているのは、先々への不安なんだと思う。

 

誰かに決めて欲しい、正しさの物差しが欲しいという不安からくる欲求が非常に強い。

 

この部分を追求してゆくのはしんどい作業だ。

 

今は私は絶望している。

独立してやると息巻いていたんだけど。

単一化して、周囲と協調し、足並みを揃えることが根っから出来ない性質なのだという事実を、受け止めだした。

そんな人間は、食い物にされるだけではないのか。

ならばその状態を享受し、食い物にされるなりに幸せを見出せばよいのに。

 

たぶん物事には、見方を変えるとすべてが変わるという側面はある。

例えば、社会と関わることを避け、実家でずっと生きている人がいる。

結婚もしておらず、働いたことがないという人は私より上の世代にもいる。

その人は、毎日必死で働いている方からすると、許せなかったり見下したり、そしてシカトするという対象になる。

 

でも、本人は不幸なんだろうか?

そこで暮らせる環境があるから、働かない選択をしているのだ。

余分な資産があれば嗜好品を買うだろうし、どこかに旅とか行くだろう。

そんな資産がなくても、最低限生きていくだけのものはあるのだから、その生活が成り立つのだ。

 

社会保障や日々の食うものや光熱費などは自分が金銭を産み出さなくとも賄えるから、そんな暮らしが成り立つのだ。

 

割りを食うのは親であったりするし、周りはたまったものではないのだが、そんなの一側面に過ぎない。

 

社会保障額は、収入に対して決まる。

本人が借金を抱えていても、散財をしていて貯金がなくともだ。

自業自得や、仕方なしにといったソフト面などは、考慮していられないだろう。

 

ハード面ではそんな割り切りをする他ないだろうけど、本当は、働かない、稼がないことが、正しい、正しくないの二項で割り切れるものではないように思うのだ。

 

そんなにきれいに割り切れるなら、なぜ働かない人、働けない人、働いている人、働きすぎてる人が社会に混在しているのか、疑問に思う。

 

でも、はっきり言ってそんな風に生きれることはほんとに羨ましい。

年間に、稼ぐ額が10万を切っていても生きていける環境が、その人たちにはあるという事実が羨ましくてたまらない。

 

働くことに対して支障がない人間は働き、社会を回すのが理想だ。

そうすれば世の中健全に回るだろう。

 

でも、さまざまな事由で無職であったり、収入が激減する人が後を絶たないのが現実だ。

 

そんな現実を踏まえて改めて。

自分がなりたいのは、働かない人だ。

静かに好きな本を読み、なんらかのアウトプットをするだけで生きていける人だ。個人的に興味があるし、やりたいことも出てきているのだが、日々最低限の暮らしがないと焦りで消耗する。

 

生きてるだけでお金がいる。

お金がない環境で、好きにアウトプットなんて出来ない。

 

だから、自業自得であれ、生まれ持った環境であれ、お金がない人間はなにかをする必要が出る。無理矢理にでもだ。

 

ずっと、私はなんでもやってきた。

自分を削って働いてきた。

削るというやり方しかできなかった。

 

なら削るだけ削ってお金を貯めていられればよかったけど、ダメだった。

 

フル稼働で働き続けるには、前述したような逃避、依存となる対象が私に必要だったことが現実だ。

仕事に依存して消耗し、消耗を少しでも満たすために別のものに逃避するというループが正社員時代の自分であったのだ。

そんなのでお金が貯まるはずもない。

 

いま、独立な話が出てる。契約日は決定済みだが、具体的な時間はまだだ。

注意して読もうとするところも捻り出した。もしこの契約が不利な場合でも、余程のことがない限り受けてみるしかない。いまは。

 

自分という人間に関して言えば、なにをしても出口は同じだとやはり思ってる。

諦めに近い。

 

私は一切働かずに生きることが出来る環境にはいない。最低限のバイトはせねばなるまい。

 

正社員のプレッシャーに耐えられず摩耗した。仕事はこなせるのだが、摩耗して逃避するのだ。結果お金はなくなる。派遣や委託よりは安定はするが、先々続く保障など、ない。正社員神話は絶対に崩れてゆく。

 

派遣も委託も契約に縛られるのは同じ。

派遣の方が面倒な手続きをしなくてよいし、社会保険の本人負担が減る、雇用保険に入れるというもので、それは大きいけどね。

 

今後一番注意したいのは、摩耗による逃避だ。あれは、洒落にならない。せめてお酒と過剰な買い物は今後の人生避けてゆきたいものだ。どれだけ使ったのかわからない。

飲むときは、溺れないぐらいがよい。

 

摩耗せずに自己管理をして働く。これが労働にあたり、当面の私の課題である。

 

嫌でたまらないのが本音

本音を突き詰めると、私は働きたくない。なぜ働くかというと、お金がいるからだ。

 

お金の問題が解決されるのなら、絶対働かない。好きな勉強をし、好きな研究をし、それをブログなどでアウトプットして生きることを選ぶ。

そのアウトプットが、どこかの誰かの役に立てばいいのにと思う。

そこで金銭が発生するならいうことはない。

 

お金を稼ぐことを目的として生きたくないことが本音だ。

 

でも、生きているだけでお金はかかる。

税金や社会保障などは、自分にはかなりの負担となってしまう。

けっこう稼げていたけど、日々のストレスで占い、飲酒、買い物にはまり、貯金はほぼない。

 

おかげで今は貯金も恐ろしくギリギリなので、財布の紐は硬い。

 

しかし社会保障などの公的なお金は私を追いかけてくる。

両親にとっては、私が家にいる時点で負債だ。

だから自分でどうにかやるしかない。

ただ、いつまでもはやれない。

父親

父はずっと同じ企業に勤めていた。

名前は誰もが知っている、大手優良企業である。わたしなんかがあなたの元に産まれてきてごめんなさいと思うほどだ。

父の物差しは、大手優良企業のそれであった。父は、常にそれが水準であった。

やけにえらそうな鼻持ちならない人間であるくせに、私は父の水準には達していなかった。

 

そんなステキな企業で、父がどんな風に働いていたかは知らない。

大手とはいえ人間の集まりである。そして、会社とは、どれほど綺麗事を並べても、結局は利益を追求をするものだ。

 

嫌なこともたくさんあったろう。

あり得ないものも見てきたことであろう。

 

それでも、何者かにはなれていたはずだ。こんなことをしてきた、こんなことをしていると語れるほどには。

 

今、私が優良げな企業でデータを打ち込みつつ羨んでいる人たちの中の1人にいたんだろう、たぶん。

 

 

こうはなりたくないと思ったのは、父の退職後だ。

企業の業績が悪化し、早期依願退職を募り始めた。

対象となったのは父の年齢を含む社員。

退職金額を跳ね上げるので、という条件である。リストラではないので、もちろん残ることもできる。

 

でも父は、辞めることを決めた。

そのあたりの流れも、あまり覚えていない。たしかプライドがなんだの。そんな感じだったと思う。他にも理由はあるだろうけど。

 

気付くと父は、今までより輪をかけて、よくわからない感じになっていった。すごい速度だった。

 

ある程度の地位まで登ったといっても、それはその組織の中でだけのことである。一歩外に出ると、また違う。

 

しかし父は、堅固なプライドを持っていた。こんな書き方をするからには、もちろん悪い意味でだ。

 

まず、まだ身体は動くし働けるとのことで、かなり安い給与ながら、近所の会社へ父は自ら働きに行った。たしかに、当時の父の年齢で考えると、働ける。もう休んでおきなさい。という年齢でなかったことだけはたしかだ。

 

結果→喧嘩して辞めた。

 

食卓では、誰が悪いだとか、普通はこうするだとか、そんな話題が溢れていった。

 

退職後、父は次から次に仕事をみつけては辞め、また見つけては辞めた。 

理由:

ざっくりいうと、人間関係の摩擦

捨てきれなかったプライド

 

もう働かなくてもいいじゃないかと、思っていたし実際言ったのだが。

 

我が家の近所にある会社と、父が勤めていた会社は、待遇から仕事のやり方、会社力に至るまで、天と地ほどに違う。

詳しくはわからないけれど、父の見てきた常識と、近所にある会社の常識とでは、異国かというほどに違っていただろう。言葉は、通じたのだろうか。

 

父の歯車は次第に狂っていった。

父のアイデンティティは、会社があってこそであった。

 

私は父のように長い期間同じ会社で働くことはできなかったし、大きな会社にも入れなかったのだが、おかしくなっていった父を思い返すと、私はたしかにこの人の娘なんだというところはたくさんあった。

たまたま時代が違っただけなのかもしれない。父の世代にはレールはあり、私の世代にはレールはない。

 

個々の賢さにより、道は大きくずれてゆく。私は賢くはなかったので、ずれてしまった。

 

 

父のこと。

 

これ以上は辛くなってきたから、辞めておく。

 

父はまだ、存命である。でも、もう働けない。歳であるのはもちろんだが、もう随分前に、外で働けるメンタルではなくなってしまったのだ。

 

大手優良企業を退職した後の父は、何者かであった自分を維持しようともがき続けていたのだろうか。

退職したあとも、以前の繋がりでなんだかんだやる人もいるだろう。

メンタルがやられるまではいかない人もいるだろう。

父はそうではなかった。

 

 

またいずれ、書こう。

何者にもなれない。積み重ねができないということ。

とある巡り合わせで、単発のデータ入力をしている。

 

この仕事が来た際、無職である状態だから、だらだらし過ぎずにちょうどよいメリハリをつけることが出来ると感じて、お話しをうけた。

 

メリハリという意味では正解だけれど、私は今とてつもなく落ち込んでいる。

 

今まで、私は胸を張って言い切ることが出来るような何かを積み重ねることができなかった。

派遣会社の顔合わせに行った時にもそれを薄々感じていた。

なんでもできることはできる。仕事を選ばなかったし、とりあえずやってみるをモットーにして生きて来たから。

そして、大企業に入ることは視野に入れていなかった。

 

ただ、その結果積み重ねられたのは、中小企業での経験や転職回数である。

中小企業では、なにかに特化することは難しかった。

マルチタスクで仕事を進行はさせられるが、結局頭打ちになる理由は、「やりすぎたから」。

 

どんどん、限界が見える。

自身の限界や、会社の限界など。

 

これは私のマインドにも問題がある。

なにかと比較する癖がついている。

そのくせ、変革を起こすほどのヒューマンスキルもなく、どんどん息が苦しくなる。

ここにいる限り、出口のない道の中で頑張り続けないといけないという思いに支配されてしまう。

実際、経験した会社は離職率も高い。

 

そんな環境にいることで、どんどん思いが蓄積される。別に手離してもよいのだと。問題はそこからだ。

 

手離してもよいとは思う。

辞めた会社では、やれなかったことが答えとなるから。

 

でも、認めるのはすごく苦しいけど、結局もがいていただけで、何ひとつえれていなかったではないか。

 

この道を選んだ際に、知人に言われた言葉がある。

 

「そんな会社に足を突っ込むと、なんでもやらされる上になんにも残らない。小さなことしかできなくなる。悪いことは言わないからそこだけはやめておけ」

 

それは、その通りだった。

ただ、当時の私は自信がなかった。

採用してくれるなら選んでられない。

よいところに採用なんてされるはずがない。早くお金がいる。

そう思っていた。

 

いま、1つの会社で着々とスキルや経験、人脈をためていった人たちの中で働いている。

退職者も多いようだけど、退職者は人脈を持って、誇りとなる経験を持って去ってゆく人たちも多い。

わたしにはそれができなかった。

 

腹立たしいけど、彼の言ったとおりになっている。

 

ただ、もう少し考えてみる。

父のことだ。

父は大手企業で、依願退職を打診されるまで勤め上げた。

 

でも、側から見るとなにもなくなっているように感じる。

父のようになりたくないという思いもあった。

このことについては、次の記事で書こう。

 

結局、培われた本人の性質や思考の癖によるのかもしれない。

 

派遣会社と派遣先との条件合わせはずれる

今までの経験を生かしつつ、即戦力として労働力を提供する。

これを望まれているのが、専門職分野での派遣労働だと認識しています。

経験とあまりにもかけ離れていなければ、あとは自身で勉強するということかと。

未経験では絶対無理ですね。

 

この前提で。。

先週、とある派遣会社からお仕事を立て続けに紹介してもらいましたが、すべてにおいて、大きなずれが発生していました。

 

派遣会社からお仕事の紹介は、可能な限り派遣会社内で擦り合わせた上で、ご連絡をいただけます。

当然そこでも個人の経験やできること、希望諸々すれ違いは出ます。

 

なので、派遣先はどこまでのスキル水準を私に求めているのか、並びにその業務ならこれは難しいと思うがとうなのだろうということを質問します。

すると返ってくる答えは、現在就業中の方へお話しを聞くと、そこまではないとのことでした。

 

ならば、と顔合わせに行くと「無理です」「勉強しながらになることを許容いただければやりたいです」というレベルのことが平然と求められていることを目の当たりにしました。

 

しかしよくよくお話しを聞くと、「たしかにこちらが発注元になるんだけど実際どんな仕事を振ることになるかわからないから、スキルは高めに設定しときたい」という意図があったり。

 

これは、あれですね。

業務いろいろありすぎて、整理できないやつです。

 

これからこんな仕事があるかもよ、ていうお題が社内で出てるけど、どうしよう対応できる人いないし人は辞めていく一方だよ!となる感じでしょう。

 

万が一ここが採用になってもスキル的に無理とわかる。そして落選する(笑)という事実を理解できるようになります。

 

一応顔合わせ後に、ここの仕事こなすのは無理だと伝え、顔合わせを受けた事実を根こそぎ忘れていました。

 

次。第1希望の、ところでした。

経験を活かせる、会社に特色あるおもしろそうなところ(但し残業は鬼ほどにはしない)を受けました。

経験業務もまったく変わらず、ほぼ即戦力でいけそう!とイメージもつきやすくて。

スキル面についても驚くほどスムーズに話しがまとまりました。ここでまさかのもつれが。

こちらの会社さまには派遣という文化がなく、そこで話しが流れました。

情報を漏れ聞くと、責任者はOK。しかし現場は「派遣社員なんてどう扱えばよいのだ。すぐに辞めるのではないのだろうか。」ということで、今回はごめんなさいとのことでした。

こうゆうのも知っています。大きく分類すると、仕事がまとまっていないゆえ、派遣社員というカテゴリの人間になにをどこまで振ればよいかわからない。そして、すぐに辞めるんじゃないだろうかという恐怖です。何も言えない。

 

そして、3件目。

さすがに「どうせ話は違ってるんだろう」と懐疑的になりながら顔合わせ。

案の定なことを、顔合わせの場で質問された私でした。

今回はまだ結果は出ていないのですが。一度、どんなものかを質問しました。

 

なんと、業務内容がこれから大きく変化する見通しがあることが発覚したそうです( ˆoˆ )/

 

派遣先も、改めてもう一度仕事の整理をしたとのことで。

出来るだけ、事前に聞いていた業務内容に即した経験をピックアップして自己紹介をしたというのに笑

 

直接面接を受けにいくのと変わりはないかもしれません。

業務担当者と仕事や経験の擦り合わせをして、初めて見えることもあります。

更に言うと、派遣でも正社員でも、実際働いてみるまで互いの様子なんてわからないのです。

また、私の雰囲気や人柄に不信感を持ったなどと言う口には出さない理由もあるやもしれません。

 

だから「この派遣会社を信頼できないんですけど....」という思いを持つこと自体が理不尽なことかもしれませんが、どうにもまだ割り切れない笑

 

派遣会社担当の方からの又聞きとは言え、派遣先の言い分も、わかるんですけどね。前の会社でその言い分を漏らす立場だったから。


ただ、、間に入っている存在があるのです。

それぐらいの情報は事前に聞き出してフィードバックはできないのものなのかしら?お互い時間をとることになるんだから。

なんなら「業務整理が追いつかないようだから、異なることを言われる可能性はある」ぐらい聞けていればなど、たらればが頭を支配。

 

それを事前にわかっていれば、絶対に受けないよ?とか。

事前にわかっているけど、興味あるから受けてみるよ?とか。

それだけで心持ちが変わるんです。

 

さて、最後の会社さんは、一応返事はまだです。

そして、別の派遣会社さんからの紹介をひとつ差し込みました。

こちらの派遣会社さんは事前に内容の二転三転具合を言ってくれました。

これだけで本当に印象が違います。

 

実際うまく仕事をやれるかは、やってみないとわからないのですが。

とりあえず、派遣社員として働くのは、時間の確保、担当業務のスリム化を目指して、です。

 

今日も、生きます。

辞めました。

こんにちは。随分久々です。

仕事をやめました。振り返ると、かなり身勝手な辞め方です。

 

辞めてみると、辞めてみたからこそわかることもありました。

まず、自身はかなり傲慢な性格であったな、ということを改めて思いました。

社会ではたしかに、やりづらい。

 

もうひとつ。

一定の距離を開けてみると、悪い人は1人もいないなと。

組織になると出てきてしまうしがらみがどうしても無理で、受け止めれなかったんです。

もっと丁寧に仕事をしたかったし、業務があれこれ集中する中で余裕がなくなってしまった。

もう、このパターンは2回目です。

 

辞める際、自分の業務の引き継ぎ先がなくて、外部業者に引き継ぐという事態が起こりました。

これはさすがに初めての経験でした。

 

でも外部業者さまに引き継いだからこそ、退職後に少しお手伝いをした際に感覚が激変しました。

 

劇的に、働きやすい部署になったように見えました。。

受け渡しの際にちょっとだけ仲立ちをしたのですが、業務理解も非常にスムーズで。。

 

でもこれは、私が退職したからこそなんです。

ずっと続けていたら、厳しかったと思います。そんな費用など絶対出してくれなかったでしょう^ ^;

退職交渉の時も、最後の最後での決断でした。。

 

外部業者全委託の会社なら、もう戻りたいと心から訴えたくなりましたよorz

 

これなら余裕で時間作れるし、しがらみあれど業務の種類の多さに追い詰められることは今後ないでしょう!!笑

  

会社としては、将来危ないなあという予感はありましたが。

 

歯車になる分にはワークライフバランスがとりやすい部署になったこと、間違いないと思います。

 

ただ、外部業者さまから微妙な顔をされてしまいましたが^ ^;

まあ、外部業者様はかなり大変だと思います。。

 

そこはなんにも言えません....^ ^;

 

 

もう少し器用に生きれたらなあ。